皆さんから寄せられたメッセージ
誰も知らない:私とポッチ
2005年2月28日 もんちのきもち


この映画を見たとき、
ふと思い出した子がいた。思い出した思い出があった。

その思い出とは、私がまだ小学校1年生のころで、まだポッチが若くて元気だったころのこと。
その頃は、お母さんは働いていて、お兄ちゃんはいつも友達と遊んでいて、
夕方になると、友達も家に帰ってしまって、もう日の落ちかけそうな切ない時間に私はガランとした家に一人取り残されていた。

そんなとき、家の中には到底いることができなくて、
私はいつも庭にいるポッチの隣にいた。
二人で、庭の角っこに座って、ずっと道路の突き当たりを見ていた。
遠くから車のエンジンの音がして、ポッチが「ワンワン!」とほえ始めるのを待つため。
ポッチは、突き当たりの道に差し掛かろうとするお母さんの車の音、お父さんのバイクの音、どちらにも反応する。
ポッチが、「吠えるはずの時間」になってもなかなか吠えないときは、
いつもポッチの首に手を回して、話しかけていた。「まだかえってこぉへんなぁ。」って。
ポッチも、切ない遠い目をして、道の奥のほうをじっと見つめていた。

そうやって、私とポッチはあの頃、寂しさを共有した相手だった。


ポッチとそうして一緒にいた時間は、今の私にもすごく影響したなと思う。
私が人一倍さびしがりやなのも、
さびしいときや悲しいときに、犬みたいにクンクン言ってしまうのも
ポッチの影響だと思う。
ポッチも、私のさびしがりやに影響されたと思う。

ポッチはもうこの世にはいない。私はとうとうポッチにさよならできなかった。
だけど、ポッチに聞きたかった。
ポッチはあの後、私と別れてから、おばあちゃんちでさびしい思いをせずに生きていたのか。
時々見るポッチは、あいかわらず人が見えなくなるとさびしそうにほえていた。そんなポッチが、
死ぬ間際に幸せだと感じて死ねたのか。

「ポッチ、幸せだった?」

と、
時々、そうつぶやいて空を仰いで見るけれど、
答えは出ない。私自身の答えが出ないと、ポッチも答えてくれなさそうだ。
ポッチを、私の手で幸せにしてあげられなかった。
それが心残りで仕方ない。


あの頃の思い出があるせいで、
私は子供にさびしい思いをさせる親が許せない。
私の両親はその後、自分の子供が異常な性格になってきていると気付き、お母さんは仕事をやめた。
もうその頃は手遅れで、私はお母さんにさえ、心を閉ざしていたのだけれど。

予想通り、私は幼い頃の経験のせいで異常なほど愛に飢えた、社交性のない人間になった。
その性格は、親の努力と私の周りの友達のおかげで時間をかけてようやく直り、周りから見ても「元気で明るい子」になった。昔はあんなに母親を恨んでいたのに、今は本当に不思議なくらい、大事に思っている。


この映画を見て、私は痛いほど共感した。
この4人の子供達が
まるで、あの頃の私とポッチみたいだったから。

ただ求めるのは、親の愛で、
ただ頼るのは、隣にいて、同じ寂しさを味わっている人間、または犬。
純粋すぎる故に、いつのまにか負う悲しみとさびしさの傷は計り知れないほど深い。

そんな子供は、将来本当にもっと大変な目に合う。
私が証明できる。


怒りと悲しみに満ちた映画だった。
だけど、こんな風景が日本で、世界で今たくさんあると思う。
寂しさに満ちた幼少時代をおくった子供は、異常な大人になってしまう。
誰かがその分愛を満たしてあげない限り。途中で、本人が変だ、と気付かない限り。

これ以上、さびしがりやの人間を増やさないでほしい。
これ以上、異常な人間を作り出さないでほしい。

私はこの映画と一緒に叫んでいた。

やっと
2005年2月27日 じじ


やっと、メッセージを送ろうと思える気持ちになれました。
去年の初秋に見て以来、何度もこのホームページを訪れ、何度も涙し、ずっと、気持ちの整理がつかずにいました。

私は子どもと共に生活をする仕事をしています。
映画を観ながら、日々、目の前にいる子どもたちのこと、そして、私自身の子どもの頃の生活を思い出していました。
あの部屋は私が子どもの頃生活していた部屋とそっくりで(もっと酷かったかも)、4人兄弟で母との生活。。。というところまで同じで、母が離婚を乗り越えるのに苦しい時期、その日の食べ物に困る日々、遅く帰る母の愛情に飢え、子どもたちだけ取り残された家の中での暴力のエスカレート。。。
あの頃、明と同じ兄弟の一番上で、必死で抑えていた感情が映画館でわっと噴き出した感じがしました。
それでも、あの頃も、今も、私たちには揺ぎ無い母の愛は届いていました。
それは、共に暮らしていても、そうでなくとも、明たちにもそれは届いていたのだと信じたいです。
明が茂を叱って友達のラジコンにあたる姿、そして帰っていく明の後ろをちょこちょことついていく茂の姿、とても印象深く残っています。
まとまりない文章ですが、こんなに胸をつかまれた映画ははじめてです。自分の中でずっと、大切に持っていたい映画になりました。監督、ありがとうございました。

愛するということ
2005年2月26日 まみ


私と同い年の子どもが、私よりも小さな子供たちが、
昔本当にあんな生活を送っていたなんて。
本当に信じられません。
親に捨てられても、誰も知らなくても、強くたくましく生き続けた4人の子供たち。
そんな難しい役柄を演じきった柳楽君も、そのほかの子供たちも、本当にすごい役者さんだと思いました。
いろいろな愛のあり方について、考えさせられる映画でした。こんな素敵な映画に出会えて、私のこれからの人生はとても豊かなものになったと思います。

感動した★☆
2005年2月24日 Mari


「誰も知らない」は夏休みとっても見たかった映画です。でも結局見れなかったのですがアメリカでもやる事になり、とっても嬉しかったです!!!!!!! 昨日観に行きました。もう言葉では表せない気持ちです。すっごい悲しい&かわいそうって気持ちがいっぱいなんだけど、すごい良くて、感動です。あんなふうに暮らしているのに、素直に生きてて。。ほんっとすごいなぁーって。。私も頑張ろうっ!って思います。演技は上手いし、映像はキレイだし、すごくいい映画でした!是非弟やお母さんにも見てほしい映画です。dvd絶対買います!

生コレエダを見る!!
2005年2月24日 墨染JUNKO


2月21日 大阪・中之島リサイタルホ−ルで
行われた朝日ベストテン映画祭で、
初めて是枝監督を拝見いたしました。
印象は、テレビと一緒と言うか
むしろ若々しく爽やかな感じでした。

「誰も知らない」は、昨年8月に観ており 
その時は自分の事・家族の事で悩んでいる時で、
私の心の奥にずっしりと入ってきました。
衝撃的と言う言葉しか思い当たりませんでした。

監督が大阪へ来られる事を新聞で知り、
忘れかけていた切ない思いがあふれ出し、
押さえる事ができませんでした。

次回作で 京都へ来られるとのお話、今から
ワクワクしています。
京都・伏見の地にて、地酒を飲みながら酒かす
かじりながら楽しみに待つ事にします。

東京にでもいたならストーカーでもしそうな私
ですので、関西にいて丁度いいようです。
お忙しそうですが、お体ご自愛下さいませ。

無題
2005年2月20日 yu


前向きに生きようと思った
現実を受け止めていこうと思った
素直な人間になろうと思った

無題
2005年2月20日 
匿名


人を信じることは決していけないことではないと思う
でも人を裏切る人間はどんな最悪な人間よりも残虐な心をもった人間だと思う
もっと前向きに人の期待に裏切らない人間になろうと思う。もう少しで私は中学の卒業式がある
泣きたい時はおもいっきり泣ける素直な人間になろうと思う。

生きることと幸せ
2005年2月20日 tomoko


東京で仕事を始めてから映画を見ることが激減し、昨年結婚してさらに自分のための時間がなくなり、またこれから出産で、おそらく映画館に足を運べる機会は、何年もなくなるのだろうと思っています。だから、年に数回見た映画は大切な記憶です。

この作品も予告を見て、ずっと気になっていたけど、映画が見れるような時間が取れたのは、本公開のずっとあとでした。見る前は悲惨な情景がドキュメンタリータッチで描かれる、救いのない映画かと、正直覚悟していたのですが…。
それが、見終わって道を歩いているときかみしめた想いは、意外にも「生きることの喜び」のようなものでした。我々は悲惨な体験をしている人をよく「こんなになっても生きている」などとかわいそうに感じますが、彼らの中にも喜びやちょっとした充実など、我々と同じ心の動きがある。そのことを、お金や健康を兼ね備えた私たちは同じ目線で見れないだけではないか。はたして、幸せでいようとすることだけが生きる価値なのだろうか? 生きていることだけで、これほど価値がある、と感じたのは驚きでした。

また、監督は東京生まれの東京育ちと聞きましたが、自分自身も札幌市内で生まれ育ったため、監督が描きたかったものがよくわかる気がしました。生まれたときから都会にいるというのは、時折自分がとてもちっぽけな、さびしい存在だと思い知らされる感覚がするのです。深夜のネオンや雑踏や車道に、それを感じていたことを、映画を見て思い出しました。

感想文です。
2005年2月20日 松山晃之


主人公が途中で声変わりしていて、妹が変声期の主人公に‘風邪でもひいたの?’という台詞がありました。確か台本には殆ど台詞が書いてなかったはずですが、あれもアドリブでしょうか。主人公、明役の柳楽優弥君や妹、弟役の子供達の演技がすばらしくリアルで、最初はスタッフの演出が成功したからかなと思っていましたが、それだけでなく本人達の努力と実力によるものだと映画が進むにつれてはっきりしました。他の出演者の方々の演技も映像も音楽も素晴らしかったし、ある事実を大事な設定やバックボーンを崩さないように配慮しながら一般性とリアリティのあるフィクションに翻訳した作り手の作業は的確で、映画館で観ていて感極まってしまいました。素晴らしい映画だと思いましたが、そう思ったのは感極まって泣いたからではないし、泣いたのも感動したり同情したからではありません。映画を観て感動したかどうかは必ずしも映画そのものの評価にはならないし、観客の中には全くドライな感想を話し合いながら劇場を後にする人達もいました。ですが単に涙を誘うだけならこの映画はそれほど素晴らしい作品にはならなかっただろうと思います。もし、明達が置かれたような立場の子供達を毎日援助しながら生活している人がこの映画を観たら、映画の中の情景は自分の日常の一部と写り私程にショックを受けて取り乱したりはしなかっただろうし、この作品をドライに受け止めた人は、世界中にいる親に捨てられたり飢えたりする子供達の日常と、自分の暮らす日常との間に隔たるギャップを冷静に認識したのかもしれなません。‘誰も知らない’が素晴らしいのは、感動を呼ぶからではなく、作り手が‘こういう子供達があなたの身近にいたらどうしますか?’と観客に対してメッセージを送りそれに答えた観客が自分の回答に責任を持つという、観客に自分と映画の中に広がる風景との距離を強く認識させる作品だからだと思います。

この作品に関わった全ての方々に敬意を表します。

是枝裕和監督へ
2005年2月19日 風花


つい先日、やっと「誰も知らない」を拝見する事ができました。
(ちなみに書き込みは二度目です。一度目はミスで送れずに消えてしまったので書き直してます)


”やっと”という文脈がおかしいかもしれませんが、私にとっては、”やっと”見る事が出来た作品です・・・

この「誰も知らない」という作品は上映当時、すでに話題となり映画館に観に行くつもりでいたのですが、何気に観た雑誌だったと思うのですが、そこで「実際の事件をモチーフとした」という言葉に目を留めました。

是枝監督がモチーフとされた巣鴨子供置き去り事件。
あの当時私は10歳で11歳になる年でした。
(色々な場で上記の事件をモチーフになさったと聞き、事件名を出しましたが、事件の関係者の方々や、映画の価値観・監督がなぜこの映画をお作りになったのか?という部分で、名前をあげるのはマイナスの要素になる気がしますので、人前に出る事の無い文章になると思いますが、もし万が一人目に触れる場合は事件名の削除を願います)「誰も知らない」に出会うまで、あの事件のことはほとんど脳裏から薄れてました。


どうして、私がその事件を覚えていたのか?
それは、あの当時私も親から委棄されている最中の子供だったからです。

事件の詳しい事柄まで当時の私は知りませんでした、ただ年の近い当時14歳の長男の事を知り、自分と似た様な環境の子供が同じ東京にいて、次にニュースにされるのは自分なのではないかと、その時に私は生きているのだろうかと、そう怯えた”あの日”を鮮明に思い出した瞬間でもありました。


私がなぜ「誰も知らない」を今まで見る事が出来なかったのか? それは、あの頃の自分の姿をありありと思い出させられる気がしてしょうがなかったからです。


親に放置された子供がどれだけ悲しく惨めな思いをするはめになるのか・・・ それをまた見せられる気持ちがあり、気になりつつも数日前まで拝見する事が出来ませんでした。

でも、あの当時の私を知る小学校からの同級生の言葉で「あんたは、アレ見ておいた方がいいかもよ」と言われ、どっちにしろ半年以上もずっと気になってる映画だと。ここでばぁっと観て、スッキリしようと、監督には大変失礼だと思うのですが、半分ヤケの状態でレンタルして来ました。


観終わった感想は…というと、まだうまく言葉に出来ません。


ただ、ずっとあの頃の自分を見ている様な感覚があったり、当時14歳の少年だった彼の姿を、明君を通して見ている気分になったりしながらも、穏やかに観終えた作品でした。
あんなに重い話なのにも関わらず、希望があるのはなぜなんでしょうか? 希望という言葉は違うかもしれない… 希望と呼ぶにはあまりに儚く、でも、絶望とか失望の様な昏いイメージは微塵もなくて。
最後の子供達の笑顔がすごく眩しくて…

そして、一番ビックリしたのは、あくまで母親の身勝手であんな生活をさせられているにも関わらず、母親に対しての恨みとか怒りとか、そういったものが全くない様に感じました。
途中、明君の感情がピークになった時がありましたよね?お母さんの洋服を売りに行くと言い、京子ちゃんと揉め、最後に「もう帰ってこねぇんだよ!」と怒鳴るシーンがあったのですが、なんていえばいいのかなぁ…
あれって、心の底から思ってない気がしたんですよ。
あくまで、ずっと兄弟の事、母親の事を考えて、ずっとしっかりしなきゃと言い聞かせて頑張ってきて、それに疲れてしまい、不満とかイライラとか募ってキレた瞬間に出てしまった言葉で、きっと彼は心の底からお母さんを憎んだりしてないんだろうなぁと。
そう感じたのが、一番不思議でした。


本来なら子供は親に手を伸ばすしかない。
どんな親であっても、子供にとっては親なんですよね。
私は、明君の様には思えなかった。まぁ、YOUさん演じるお母さんは、子供の事大好きだったし、子供達にとっては優しくて面白いお母さんであったからなのでしょう。うちの母親は全く違ったので、その点の相違な気がしましたが、そういった親に対する怒りとか憎しみが無い分、最後に感じた希望に似た何かがあったんではないかと思いました。


映画という枠を超えての意見なのだと思うのですが、観終わった後、あのまま生きていける訳ないじゃないかと、やるせないと言えばいいのか、悲しいと言えばいいのか、そんな気持ちに苛まれ、気分が重くなりました…
悲しいはずなのに、涙も出ない。この感情は一体なんなんだと。


普段は記憶の底に沈んでいる当時の自分の姿が浮かびました。私は片親で事情があり、叔母に育てられた子供でしたが、ガンを患っていた叔母は抗癌剤治療で年に2〜3度3ヶ月程の入院で家を空けていました。
丁度、事件の時がその最中であり、手術した叔母は半年家に戻ってきませんでした。
明君の母親の様に、うちの母親もお金だけを置いていく生活で、お金が無くなりどうしようと、明君に似た行動もしたことがあります…
そして、あの時ニュースを病院で見た叔母が虫の知らせを感じ、退院予定を早めて帰ってきてくれなかったら、私は餓死していた可能性がありました…
叔母が帰ってきた時、私は極度の栄養失調と脱水症状を起こしていたと、少し大きくなってから知ったんです。


そのきっかけになった事件があの事件だったんだと、「誰も知らない」を元に知り、27になった今振り返る事になりました。
あの当時、14歳である少年に対して、どこか仲間意識に似たものを持ってました。
自分だけじゃないと、似た様な環境で生きている人間がいるのだと… そんな風に思った事もありました。
しかし、当時14歳の少年が妹の殺害に関わっていた事など知りもせず、どんな内容だったのかを調べ愕然としました。そして、そのあらましを知った後だったので、作中、明君に一時友人が出来ましたよね?
あれで、かわいいゆきちゃんが…とかなり怯えながら観ていたのですが、そこをモチーフにしてくれなくて本当に安心しました。
だた、ゆきちゃんのキュッキュサンダル。
あれを見ると、涙が浮かんできてしまいます。
飛行機を見せてあげたいからと言った明君の、あまりにも子供で稚拙な言葉だったんですが、とても純粋で真摯な感情が忘れられず、電車のシーンがとっても印象的でした。


出生届の出されていない子供達。
私は一応そういった類のものは全て出されてましたし、学校にも行く事が出来ていて、まだ恵まれている方だったのかなぁと感じ、否、そんなことは当たり前の事であって、そこで恵まれていると感じた自分も、まだきっとおかしいのだろうと、そんな風に思っています。


逆に言えば、あの事件が事件になる事がもう少し遅れていたら…
3歳の女の子は栄養失調だったと記事で見たのですが、あの子と一緒に自分も死んでいたのではないか?と、今更になって、色々考え恐怖を感じました。
あの事件が報道されなかったら?と考えると、生き残っている自信が無いからです…


色々な人がこの映画をご覧になっていると思います。
「生きているのは おとなだけですか」
このメッセージも、言葉に出来ない何かを感じました。


あの当時委棄児だった自分と、今現在おとなである自分。

その両方に挟まれつつも、とても奥深い何かを感じる作品でした。子供は絶対に大人が守ってあげなくてはならないんだと切実に感じています。
子供はおとなが思っているよりも、強くて、弱くて、我慢強く、健気で、純粋な生き物です。
子供の頃受けた傷は早々癒せるものではない。
だからこそ、「誰も知らない」という映画は沢山のおとなが見て、沢山のものを感じてもらいたい作品だと、観終わった今そう感じております。


元委棄児であった人間の、感想というか、なんというのか…
何かを書かなければと思って書きました。
脈絡も無い文章かもしれません。
でも、私の様な人間も見たよと、監督に知らせたかったのかもしれません。
決して絶望的な作品ではなかったよと…

今のこの時代に「誰も知らない」という映画を作ってくれた事に感謝しています。
再び、あのような事件が起こりませんようにと、ただただ祈るばかりです。


まだ、どこか呆然としている気分なのですが、見てよかったと言える作品だったと思います。
そして、あの事件の14歳の少年、今きっと30歳前後になっていると思いますが、彼も観ていればいいなと、どこかでそんな風に思いました。

記憶の底に沈んでいた記憶ですが、過去は変えることは出来ない。今の私はそれを悲観して生きてはいません。今現在、私は母と二人で同居しております。
時間の経過とは不思議なものですね…
でも、全て背負って進んでいくのが人生だとそう思っています。


27というこの年に、この映画に出会えてよかったのかもしれません…


様々な複雑な思いや感情が残っておりますが、「誰も知らない」を世間に出してくださり、ありがとうございました。


最後に…


愛された人も 愛されなかった人も
もっともっと 沢山のモノを愛して下さい。

それはいつか 自分の元へ届き
そしてまた 誰かの元へと続いていく

一つ 心が痛い想いをすると
一つだけ 人にも 自分にも優しくなれるように


それが 人の本来の姿なのだと 私は… 信じたいのです



ここまで読んでくださってるかどうかわかりませんが、乱筆・乱文のほど失礼いたします。
ありがとうございました。

楽しみにしてます!
2005年2月18日 もっちー


高崎映画祭での受賞おめでとうございます!
私は、毎年映画祭の受賞式は欠かさず見にいっていて、
是枝監督のお姿も拝見させていただいてますが・・
今年も授賞式には来ていただけるのでしょうか!?

私は、高崎映画祭がキッカケで、是枝監督の作品のファン
になりました☆
「誰も知らない」はもう見ましたが、もう1度映画祭で
見ようと思ってます♪
楽しみです!

この頃思うこと
2005年2月17日 楓


こんにちは。久しぶりにお便りします。
おそらくほとんどの場合、映画を見てもそのすぐ後に感想を言ったら、その後そう何回も言いたいことが出て来たり、ましてやその監督に何か伝えたくなるなんてことはないのではないかと思うのですが(わかりませんが)、是枝監督の映画は私の日常の中に完全に入り込んでしまっていて、何かにつけ蘇ってきます(笑)。トラウマのように・・・と言ったら悪い意味になってしまうので違います
が、そのいい版として。
私はトロントでのティーチインで監督に、「最近日本で子供についての暗いニュースが多いですが、構想から15年も経ったこのような時期に『誰も知らない』の公開が重なったのは何か関係がありますか?」と質問をしました。
監督は、「難しいな・・・」としばらく考えられた後、「世間で起きている色々な事件を、ただ表面的に見て、かわいそうとか哀れだとかで終わってしまうのではなく、もっと違う角度からの見方ができるんじゃないか。それができるようでありたい。」というようなことを答えられました。(と、思います)
私はその後、実際の事件の内容を調べて愕然として、まさしくその通りだと思いました。
ここ最近、残念ながらまた不幸な事件が続き、あの時の監督の言葉を思い出しています。そして私はどうしても加害者の立場や心情を考えずにはいられないのです。
彼らのしたことは本当にひどいことだし、被害者の方達の気持ちを考えると、やはり許されることではないのだと思います。ですから、これはあまり口に出しては言えないのですが、私は加害者達が何故そうなってしまったのか、そんなことをしてしまったのか、を考えてしまい、彼らにも同情してしまうのです。彼らもある意味、被害者だと思ってしまうのです。
彼らに共通して見えるのは、どうしようもない孤独です。彼らの境遇を考える時、本当に当人だけが悪いのだろうかと思ってしまうのです。全くの他人事とは言えない様な気が、私はしてしまうのです。甘いのでしょうか?それとも私は彼らに近い人間なのでしょうか?
明は今どうしているのだろう、などと考えてしまいます。もし、彼があのような事件を起こしてしまったら(実際、遠からず・・・だったかと思いますが)、つまり世間がこの映画を見て明の境遇を知り、心情を察するように、加害者達の人生を見ていたら・・・?
ただ彼らだけを責めることができるだろうか?と思います。
もし映画のストーリーがもっと続いて、明が人を傷つけるような犯罪を犯したりしたら、観客はどう反応するのでしょう?今世間が加害者達に持つ感情と同じものが、そこにはあるでしょうか?
事件が後を絶たずに起こり、その度にこのような思いが強くなるのですが、口に出して言うのは、はばかられます。やはりこの風潮の中でそれを口にするのは、加害者を弁護しているように聞こえてしまい、被害者や遺族のことを考えると、言ってはいけない様な気がしてしまいます。
でも、この悶々とした気持ちはどうしたらいいのだろう?と、いたたまれなくて、ここに来てしまいました。
うまく説明できたかわかりませんが。
状況は同じではないけれど、彼らの今までの人生は、明のそれに重ならないかと思ってしまい、彼らの姿を見てもなお、いたたまれなくなってしまうのです。
そして明はどうしているのだろう、と思ってしまうのです。

「誰も知らない」台北へやって来る。
2005年2月12日 小龍包


先週の金曜日(2月4日)から台北でも公開されました。私は去年9月に日本へ帰った際、どうしても母を連れて行きたく一緒に見に行きました。そして、お正月に帰ったとき何をしている時だったか忘れましたが母がふと呟きました「また、みたい・・・・・」と、それを聞いて何のことを言っているかすぐわかりました。私ももう一度見たいと思っていたので台湾で見ることができて嬉しいでした。
学校の友達(人種さまざま、年齢は22〜30歳)と見に行きました。
見終わった後の静かなそれぞれの反応が印象的でした。
お正月開け(旧正月)に学校で電影課(映画)を選択している友達と科目担当の先生と授業中に討論できるのが楽しみです。興味深い感想が聞くことができたらまたお知らせします。

無題
2005年2月11日 nori


こどもたちは、ただ生きていた
今を、今日を、自分の力で生きていた

こどもたちは、ただ信じていた
何かを、そしてすべてを、信じていた

おとなたちに、これができるだろうか

無題
2005年2月8日 
匿名


昨日の夜、主人とみに行った。
なんか急に日本にいる家族に電話がしたくなった。
特に弟に。

NYより

ニューヨークから
2005年2月7日 
mimi

誰も知らないがNYで公開されたので早速見に行きました。
すごく切ない、悲しいストーリーなのに明を含め子供たちは誰も泣いてない。みんなすごく逞しい。
そして優しい。
すごくいい作品でした。ありがとうございました。

NY タイムズ
2005年2月5日 
Hiromi Sugie

今朝会社に行ったら「実話が元になっているらしいけど、知っているか?」とニューヨークタイムズの「誰も知らない」の記事を指して聞かれました。私はまだ見てないのですが、マンハッタン(Landmark Sunshine Cinema)での上映が始まりました。とても楽しみです。
記事のリンクはここです。(1週間経つとログインする必要があるかもしれません。)

From Webmaster
『Nobody Knows』 はニューヨークでアメリカ合衆国での封切を迎え、大変好評を博しています。頂戴したメールの通り、ニューヨークタイムズでも大きく取り扱っていただきました。監督、スタッフ、キャスト一同心より嬉しく思っています!


誰も知らないのDVD・ビデオ
2005年2月3日 楓


各賞受賞おめでとうございます。
質問なのですが、『誰も知らない』のDVD・ビデオは北米でも発売になりますか?これから劇場だからまだかなあ?
カナダにいる友人達に勧め続けているのですが、小都市に住んでいる上に、子供が生まれたばかりだったりして、劇場には行けないのです。
メディアを学んでいたときの教授達なので、どういう反応をするかずっと聞きたくているのですが・・・。

From Webmaster
北米では現在劇場公開中で、ビデオ・DVD等の発売は公開終了後のことになりますので、発売日等をお調べになりたい場合は、配給会社まで直接お問い合わせ下さるようお願いいたします。


8月に見てからずっと
2005年2月3日 Michelle


この映画を忘れたことがありません。というより、忘れることができません。ひとりになると、音楽が流れて、4人のこどもたちが目にうかんでくるのです。あの日みたあとは家に飛んで帰り娘を抱きしめました。
モチーフになった街は偶然にもわたしのうちのすぐ近く。理由もなく、ふらふらと歩き回りました。あの子たちを探すように。だれかが気がつかなくては。わたしが気がつかなくちゃ、と思うのです。
あなたのまわりにいるこどもたちを、温かく見まもって、なにか元気がなければ「だいじょうぶ?どうしたの?」って声をかけてあげてください。あなたを必要としているこどもたちをこころから抱きしめてあげてください。そして、こどもをおいてどこにもいかないで。いまからできること、なんだろうってあれから毎日考え、行動しつつあります。心がまだ痛みながらも前にすすんでいます。ありがとう。

おめでとうございます!!
2005年2月2日 moon


是枝監督様

ブルーリボンの監督賞・作品賞、おめでとうございます!!
私も嬉しく思っています。

『誰も知らない』という映画に、日本語字幕映画にして欲しかったんだと思います。耳が聞こえない人も親になることもあります。ですので、耳が聞こえない人たちにも見せて欲しいと私は思います。
私は耳が聞こえないから、日本映画にとっては不便だと思います。ですが、日本映画の映像は私は大好きです。CMも大好きですし、チェックしています。
是枝監督の作品に日本語字幕を付けてたらいいなって思います。そして、私は何回も何回も観にいきたいと思っています。

日本映画の関係の皆さんもこのメッセージを見ていただけたら私は嬉しく思っています。

次回の映画「花よりもなほ」をすごく楽しみにしております!!

From Webmaster
3月11日に発売されました 『誰も知らない』 のDVDでは、日本語字幕付きで本編をご覧いただくことができます。よろしければぜひご覧ください。


sugoi eega des yo!
2005年2月1日 Leonora Reynaldos Rojas


message = watshi no nihongo wa yozukanai, demo I just wanted to say i love your movies! First "after life" and now this one, wow! Arigato!
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