MESSAGE

誰が何を誤解しているのか?
~放送と公権力の関係についての私見②~

2015年11月17日

倫理規範なのか 法規範なのか?
BPOの意見書発表から10日ほど時間が過ぎ、不当な「介入」「圧力」を指摘された公権力からの反論も一義的にはおおよそ出そろった感があります。
代表的なものをいくつか拾ってみましょう。
BPOが放送法の4条を「倫理規範」としたことに対して異論が目立ちます。
「放送法には規範性があり、違反があれば3ヶ月以内の業務停止命令ができる」(高市総務相)
「単なる倫理規定ではなく法規であり、これに違反しているのだから、担当官庁が法に則って対応するのは当然」「予算を国会で承認する責任がある国会議員が果たして事実を曲げているかどうかについて議論するというのは当然のこと」(10日の予算委員会での安倍首相発言)
「BPOは放送法を誤解している。NHKの調査報告書に放送法に抵触する点があったので必要な対応を行った」(菅官房長官)
お互いの主張は一件平行線をたどっているように見え、日頃あまり放送法について考えたことのない方々にはこうやって切り取られた言葉を「両論併記」されたものを見ているだけだと、どちらの意見が正しいのか、わかりにくかったかも知れません。
「〇〇VS〇〇」と対立を煽るような記事も数多く出ました。
意見書の中の政権の介入を批判した部分がスルーされるのではないか、という僕の危惧は良くも悪くもはずれたことになります。
僕自身は前回の私見をあくまで冷静に、感情ではなく理性に働きかけるようなものとして、誰かへの憎しみや軽蔑ではなく放送への愛を原動力にして書いたつもりでした。
なのでネット上で「抗議」とか「暴露!」などという煽りの見出し付きで紹介されたのはちょっと驚きでした。
今回の私見も又、前回同様の原動力によって書き進めていければと思っていますので、しばらくの間お付き合い下さい。

少しおさらいしてみましょう。
現行の放送法第4条には番組編集に当たっての4つのルールが記されています。

1. 公安及び善良な風俗を害しないこと
2. 政治的に公平であること
3. 報道は事実をまげないですること
4. 意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること

さて、このルールを「倫理規範」と考える態度、解釈は別に、僕やBPOが突然思いついたわけではなく、1950年の放送法制定時から今日までの間に積み重ねられた議論を受けているものです。
これに対し、この4つは法規範であり、放送人の守るべき義務であり違反すれば厳重注意等の罰(行政指導)を与え得る根拠になるのだという考えを持たれる方は菅官房長官はじめ、自民党の中に多くいることは当然知っていますし、その意味では今回の意見書に対する彼らの反応は「想定内」のものではありました。個人的にはさすがに菅さんが「誤解」という言葉を使われたことには驚きましたが。驚いたので私見のタイトルにしてみました。
この「私見」を最後までお読み頂くと、いったいどちらが「誤解」しているのかは、はっきりするのではないでしょうか、と多少挑戦的に前ふりをしておきます。
少なくとも2000年代初頭までは総務省はじめ、政権内でも表向きはおおむね共有されていたであろうこの4条を巡る「解釈」が菅官房長官が総務相時代の2007年あたりから、「あるある大辞典」の問題をきっかけに急に「倫理規定」から「罰則」へ大きくその解釈の舵を切り、監督権の強化を声高に主張し出したわけで、歴史の長さから言っても、主張の太さから言ってもあちらを正論ととらえこちらの「倫理規定」という主張を「誤解」と切って捨てるのはあまりに乱暴ではないかと思いました。
せいぜい頑張って「見解の相違」がいいところでしょう。
首相はともかく、少なくとも菅さんご本人はそのような放送と公権力との間で積み重ねられてきた放送法を巡る長い歴史については熟知された上であえてあのように振る舞っているのだと思います。
その目的は果たしてどこにあり、どこへ向かおうとしているのか?

放送法は憲法違反?
さて。この4条を倫理規定ではなく行政罰(指導)を伴う法規範だとする考えの問題点は、もし、このようなルールが「義務」であり、公権力の介入を正当化する根拠だと捉えた場合、すぐその前の3条に記された番組編成の自由や根本原則として1条に掲げられた表現の自由と齟齬を来すことを避けられない点にあります。
安倍首相は今年3月の衆院予算委員会で自身と自身の政策の放送での取り上げられた方に不満をもらし「不偏不党な放送をしてもらいたいのは当然だ」と述べました。
つまり1条に記された「不偏不党」も又放送局の義務だというお考えなのでしょう。
4条ならまだ準則を巡る解釈の対立ですみますが(もちろんこれはこれで大きな問題ではありますが)1条はこの法律の「目的」ですからね。
誤解のないようにもう一度確認しておきましょう。
「不偏不党」という文言が放送法に登場するのはかなり早く、1948年6月18日に国会に提出された放送法案に既に書かれています。
「放送を自由な表現の場として、その不偏不党、真実及び自律を保障すること」
翌1949年3月1日に再提出された案ではこうです。
自由な表現が行われる場としての放送の不偏不党、真実及び自律を保障すること」
憲法21条の表現の自由を実現する場所としての放送を保障する。
この表現なら、まさか後の時代の政治家も「不偏不党は放送局の義務なんだから~」などとは誤読しなかったと思うのですが。
最終的に閣議決定される段階でなぜかこの「~場として」という表現が削除されてしまったことで誤読を呼び込みやすくしてしまったんですね。
わざとそうしたのかも知れませんが。

しかしこの誤読を認めてしまうとそれこそ放送法自体が憲法違反になってしまいます。
ですから、質問に立つ者は対立するBPOの見解と、政府の反論をただ並列的に「両論併記」するのではなく、もし、4条を「義務」だと考えた場合、3条との又は1条とのそして憲法との整合性はどのように担保されるのかということくらいは重ねて問わないと何ら生産的な議論には発展しないと思われます。
案の定というか、国会での質疑も、いったい何を問いただそうとしているのかがぼんやりしていて、あれではBPOの批判に対して公権力の側に反論の機会を与えているだけのように見えました。
質疑自体がそもそも出来レースで、はじめからそれが目的だったのならともかく、何らかの言致をとろうとしたのなら何の成果もなかったと言わざるを得ません。あれでは放送と公権力を巡る国民のせっかくの関心をもう一歩深い理解へと導くことは出来ない。もったいない。いいチャンスなのに。
そして何よりあの場で語られていた言葉からは「愛」を全く感じませんでした。
放送への愛。
そんなものを求めるほうが間違っているのかも知れませんが、それが哀しくてたまらない気持ちになったことも又、今回もう一度ペンをとろうと思った理由のひとつでした。

政治的に公平かどうかを政治家が判断する?
放送の自由を保障する主体は公権力であり、「不偏不党」を放送側に義務付けるのはむしろ倒錯した態度なのだという認識は、正直もう少し広く共有されている常識だと僕は思っていました。
しかし、放送人の間からも「初めて知った。目からウロコだった」という反響を数多く頂いて(書いて良かったな…)と思う反面(こりゃ公権力につけこまれても仕方ないや)とも思ったのです。

せっかくですから4条についてもう少し考えてみましょうか。
ここは“あえて”政府側の主張に乗っかって4条を法規だという前提に立ってみることにしましょう。あくまで、あえて、ですが。
わかりやすいので先ほど触れた4条の2。「政治的に公平であること」を中心に例にとります。政府が主張するようにもし、この「ルール」が作り手の義務であり、行政指導の根拠になり得るとした場合、一体誰が何を規準にしてこの政治的「公平」をジャッジするのでしょう?
「公平」ですよ。考えてみて下さい。
例えば60キロの制限速度の道路を80キロで走ったらそれはルール違反で罰金をとられても文句は言えないでしょう。しかし「危険だ」という判断は、はなはだ感じる側の主観的な理由を根拠にしており、これで切符を切られたらドライバーはたまったものではないでしょう。
しかもこの放送法の場合本来政治をチェックする使命を担っている放送が政治的に公平であるかどうかを総務相に代表される政治家から判断されるわけです。

ん?政治家が政治的公平を判断するのか?何を基準に?自身の政治信条を?だとすると政権が交代するたびにこの「公平」の基準は変化することになるけれど放送が義務違反にならない為にはその度に時の政権に合わせて政治的なスタンスを修正することになるが、…それで良いのか?
こんな御用聞きのような態度はそれこそ「他律」になってしまうけれどそうすると今度は1条の「自律」に違反することになってしまうが。果たしてそれで良いのだろうか?
これはちょっと考えたらおかしいと思うのが普通です。
現実的にはほとんど政権交代が起きないので表面化していないだけの話です。
僕はやはりおかしいと思ったのです。
1条と4条がひとつの法律の中に共存しているのは。
「法規範」「義務」だと捉えるのは先行する3条や1条や憲法との整合性を考えたら自己矛盾度が高すぎて到底無理ですが、「倫理規範」という考え方だって正直に言えば憲法との整合性を優先したかなり無理筋の解釈だと個人的には感じています。
だからこそ「~と捉えざるを得ない」という文脈にならざるを得ないのです。
だから、調べてみました。
なぜここに「政治的公平」が記されることになったのかを?
さて、ここからが今回の私見の本題になります。

4つの「規律」はどのようなプロセスで決められたのか?
多少、歴史の授業のようになることをお許し下さい。
でもとても面白いです。きっと。

先程ちょっとだけ紹介した1948年の「放送法案」の中でこの「規律」は「原則」として次のように掲げられています。
その一部を紹介します。

一 厳格に真実を守ること。
二 直接であると間接であるとにかかわらず、公安を害するものを含まないこと。
三 事実に基き、且つ、完全に編集者の意見を含まないものであること。
四 何等かの宣伝的意図に合うように着色されないこと。
五 一部分を特に強調して何等かの宣伝的意図を強め、又は展開させないこと。
六 一部の事実又は部分を省略することによってゆがめられないこと。

まだこの中には「政治的な公平」は含まれていません。もう少しお待ち下さい。
驚いたことに、これは当時、GHQが日本の放送を検閲する為に準則にしていた「ラジオコード」のほとんど完全なコピペです。パクリ。
自らが厳しく求められていた不自由さの元凶である占領軍の検閲を転用し、今度は自らの手で放送の自由をしばろうという…吉田茂内閣の目論みはそのGHQ自身によって却下されるという何とも皮肉な結果になります。
その理由は次のようなものです。
面白いのでちょっと長いですが引用します。


この条文には、強く反対する。
何故ならば、それは憲法第二十一条に規定せられている「表現の自由の保証(原文ママ)」と全く相容れないからである。」
現在書かれているままの第四条を適用するとすれば絶えずこの条文に違反しないで放送局を運用することは不可能であろう。
反対の側から言えば、政府にその意志があれば、あらゆる種類の報道の真実あるいは、批評を抑えることに、この条文を利用することができるであろう。
この条文は、戦前の警察国家のもっていた思想統制機構を再現し、放送を権力の宣伝機関としてしまう恐れがある。
――これは、この立法の目的としているところは、正反対である。

(『資料・占領下の放送立法』(東京大学出版会)P.207~「放送法案に対するL.S(G.S)の意見」より)

これは67年も前に書かれたものですが、このGHQの危惧した通り、結果的にこの4条は何度も姿、形を変えながらゾンビのように甦り、放送法の中に確かな地位を占めてしまうことになるんですが、その件に関しては又後で触れます。
こうまでGHQにダメ出しされてさすがにゴリ押し出来なかったのか、ここで一旦、政府は4条を削除します。翌49年10月2日閣議決定されることになる放送法案の総則の中にはありません。
しかし、44条という、日本放送協会、つまりはNHKのみに適用する前提で記された条文の中にこっそり「事実をまげない」という一行を加えるのです。

(放送番組の編集)
第四十四条 協会は、放送番組の編集について、公衆の要望を満たすとともに文化水準の向上に寄興するように、最大の努力を拂わなければならない

2 協会は、公衆の要望を知るため、定期的に、科学的な、世論調査を行い、且つ、その結果を公表しなければならない。
3 協会は、放送番組の編集に当たっては、左の各号の定めるところによらなければならない。

一 公衆に関係がある事項について、事実をまげないで報道すること。
二 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
三 音楽、文学、演芸、娯楽等の分野において、最善の内容を保持すること。

(政治的公平)
第四十五条 協会の放送番組の編集は、政治的に公平でなければならない。

2 協会が公選による、公職の候補者に政見放送その他選挙運動に関する放送をさせた場合において、その選挙における候補者の請求があったときは、同一の放送設備により、同等な条件の時刻において、同一時間の放送をさせなければならない。

引用したこの条文のポイントは3つあります。
1つ目は、これがあくまでNHKに限って定められようとしている準則であるということ。
2つ目はのちに格上げされますが「事実を曲げない」という準則は、「音楽や、娯楽の分野において最善の内容を保持する」という準則と並べられており、これは明らかにこの段階ではとても罰則を伴う法規範ではなく、44条の1に記されている通り「~最大の努力を拂わなければならない」という努力目標、つまりは倫理規範(にすぎないもの)で あった点。
だってこれが罰則で、もし実現できないと放送法違反を問われるのだとしたら、例えばセンスの悪い音楽を流したり、笑えないコントを放送したら処罰されちゃうんですから。
そして、3つ目。
すぐ下の45条にようやく登場する「政治的公平」は、もともとはそのあとに説明されている通りNHKの政見放送を巡って記されたものに過ぎなかったということ。以上です。


1つ目のポイントについて多少補足説明をすると、民放に関してはこれらの準則には全くしばられることがないことになっていて法案担当の電波監理長官だった綱島毅が国会答弁でその理由について次のように説明しています。

「民間放送につきましてはあくまでも自由闊達に、のびのびと事業の運営をやるべきである。
そのほうがわが国における今後の民間放送の発達のために非常に必要であり、またそれが適当であるということからいたしまして、民間放送の発達を考えまして、わざわざ条文において事こまかく書かなかったのであります」

にも、関わらず、この長官の発言からわずか1ヶ月後。1950年の4月になって突然、本当は突然ではなく恐らくこのタイミングを狙っていたのでしょうが、準則は次のように変更されます。

◯放送法案修正案(1950年4月7日)
(第二章 日本放送協会)
第四十四条第三項を次のように改める。
3 協会は、放送番組の編集に当たっては、左の各号に定めるところによらなければならない。
一 公安を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

(第三章 一般放送事業者)
第五十三条
第四十四条第三項の規定は一般放送事業者に準用する。

現行法につながるこの4つの出自をもう一度ここで確認しておきましょう。
1の公安を害しないことはGHQの日本占領政策の検閲として定められたラジオコードであり、GHQに時代錯誤だと一旦却下されたものです。
2の政治的公平は先述した通りNHKの選挙放送のルール。これは、「政治的公平」がこの準則に格上げされると同時に8ページで紹介した第45条の見出しから(政治的公平)が消え(候補者放送)に書き替えられている事実から明らかでしょう。3と4は「センスの良い音楽を流してね」と言った条項と並べられていた努力目標。つまり倫理規定。
どれひとつとってもそれまでに、これを将来的に放送従事者に義務規定として求める前提で議論を重ねたことのない寄せ集めの鬼子のようなものばかりです。
大切なので表にしてみましょう。

1 公安を害しないこと(GHQのラジオコードのパクリ)
2 政治的に公平であること(NHKの政権放送の一般放送へのルールの拡大転用)
3 報道は事実をまげないこと(文化水準の向上に寄興するための努力目標)
4 意見が対立している問題については
  できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
(同上)

今、現在、政府が倫理規範ではなく法規範でありこれに違反したら放送法の義務違反を問い、罰則規定まで求める基準として揚げている規律の出自と実態とはこのようなものです。
しかも、明らかに趣旨が違う、つまり位相の違うこの4つのルールがなぜ一律に並べられているのか国会の場では何ら説明すらされていません。
しかも続く第三章に一言「一般放送事業者に準用する」と書き加え1ヶ月前まではNHKのみに、と説明されていたこれらの準則をここで突然民放にも適用を決定するというだましうちのような展開をみせるのです。

「担当官庁が対応するのが当然」であるという誤解
さらに重要なことがもうひとつあります。
それは、これらの準則含め、放送法によって放送を監督する主体、つまり法案の主語は、この時点では「公権力」ではなかった点です。
前回の私見でもちょっと触れましたが、この1950年に制定された電波関連三法の中には「電波監理委員会設置法」というものがあります。
ご存知の方も多いかも知れませんがあえて説明をすると、やはりこれもGHQの意向を受ける形で「放送」を権力の直接的な影響下から切り離すという日本の民主化の一環として開設された独立行政機関でした。
審議の中で政府委員は、この行政委員会が政府からは独立した組織として提案された理由をこう述べています。

「第1に放送の規律がきわめて公平に行われなければならないこと、
 第2、そのためには一党一派、その他一部の勢力の支配から分離したものでなければならないこと。
 第3にその機関の政策には相当長期にわたって政変等によって容易に変動しない恒久性を持たせるとともに、
 時代の変遷に伴って漸進的に改まって行く改変性をも興え得るように(以下略)。」
(1950年3月8日衆議院電気通信文部委員会連合審査会での電波監理長官 綱島毅の答弁より)

なるほど。昔の人は偉かったな。
これなら僕も半分くらいは納得します。
もちろんこの委員の任命権は議会の承認を受けて総理が行うものでしたが委員会のメンバーからは国会議員や政党役員は排除されるという政治との距離についてはとても厳しいルールを持ったものでした。
しかしよく考えれば当たり前ですよね。だって「政治的公平」を判断する組織なんですから。
つまりこの時点では政府与党に放送局に対する監督権が与えられていたのではないのです。逆です。 
ここは大変重要です。忘れないで下さい。
放送局の監督権つまり現在4条に記されている政治的「公平」を判断する主体からは政治家も政党も厳格に排除されていた。政治家が政治的公平を判断するのは「不公平」だと思われていた。そのほうが当然だったわけです、昔は。恐らく今も、世界では。
これは僕の推測ですが、政府から独立したこの「電波監理委員会」設置と、4条の「規律」条項の実質的復活がバーターとして取り引きされたのではないか。GHQと政府の間で。このあたりの事情については僕の手元にある資料を読んでもよくわからない。すみません。誰か詳しい人がいたら教えて下さい。次の私見に反映させます。
まぁ、そんな僕の憶測はともかく、少なくとも、ここで掲げられた政治的「公平」は仮にこれを倫理規範ではなく義務と捉えるにせよ規律を監督する組織は前提として政府から切り離された第三者委員会だったということです。いいですか?大切なので何度でも繰り返します。
つまり、3条に記されている「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されない」。
これは戦前への反省からもともとは軍部の放送への介入を戒めたものですがここで触れられている干渉したり、規律を求めたりする権限を有していたのは「電波監理委員会」のみだった。だからこそ「電波監理委員会設置法」の4條権限の20に「電波を監視し、及び規律すること」と明文化されているのです。
放送に規律を求めることが出来たのは首相でも大臣でも、官房長官でももちろん一党一派に過ぎない「情報通信戦略調査会」でもなかったという事実は是非覚えておいて下さい。

監督権はどのようにして公権力の手に奪い返されたのか?
にも関わらず、です。2年後、さらに大きな悲劇が放送法を襲います。
ここからが今回の私見の最大のポイントです。1952年。GHQがいなくなると当初からそこまで放送を民主化したくなかった政府はこれ幸いとばかりにGHQのありがたくない置き土産だった電波監理委員会を廃止し、その監督権を政府の手に取り戻すわけです。
つまり、「規律」の内容はそのままに判断の主体だけを政府(郵政省)に置き変えてしまった。
放送という私たちの社会の公共財を公権力の直接的な支配から守るために作られた法律、制度です。
法律の趣旨を踏みにじるというか、180度逆転させてしまうようなそんな書き換えが良く許されたなと正直驚きを禁じ得ません。
まぁ、よっぽど放送というものが他人(国民)の財産になるのが嫌だったんだと思いますが、GHQが目をそらしたすきに、「公安」というキーワードを復活させ、NHKだけだからと嘘をつきながら、政見放送の約束を格上げにし、努力目標を並べたあとに民放へ適用を拡大し、第三者委員会の管理だからと言っておいて2年で反古にする。
これが、公権力が一度手放した放送を巡る権益を、自らの元に取り戻すまでの嘘でぬり固めたプロセス(歴史)です。
これは、解釈とか、誤解などといった批判、反論を挟み込む余地のない歴史的な事実です。
どうでしょうか。少し見え方が変わったでしょうか。
これで放送法にも当然たたえられているはずの憲法の精神や、表現の自由、検閲の禁止と全く相容れない4条の「ルール」が放送法の中で共存してしまった理由に合点がいきましたでしょうか。
このような経緯で手にした権益であることを知ってしまうと「監督官庁ですが何か?」「政治家が公平を判断するのは当然だ」などと澄まし顔をされると、何か皮肉のひとつくらい言ってやりたくなる。
そんな僕の気持ちを少しはご理解いただけるかと思います。

例えは悪いですが火事場泥棒のような?このような姑息で卑怯な詐欺に近い継承の仕方で手にした監督権をあたかもその法律の制定された当初から自明のものとして手にしていた「当然」の権利だと政府は途中から振る舞い始めたわけです。まさにGHQが予言した通り政府が「あらゆる種類の報道の真実あるいは、批評を抑えることに」「この条文を利用」し、「戦前の警察国家の持っていた思想統制機構を再現し、放送を権力の宣伝機関としてしまう恐れ」が今、現実のものになりつつある―――と言ったら言い過ぎでしょうか?

「停波の権限は本当にあるのか?」
「我々には停波の権限がある」と、与党の政治家は声高に主張します。ここでちょっと目先を変えて放送法違反の「罰則」について少し考えてみましょう。当初政府は、のちの4条に記した「公安を害さない」という規律に呼応する形で第6章(罰則)の第88条の3に「第4条3項の規定に違反した者は、五千円以下の罰金に処する」と明確に記していました。 しかし、GHQのダメ出しを受けてこれを削除します。法案制定直前の修正によって「公安」は条項に復活しますが、この罰則は削除されたままになるんです。これは広く知られた事実ですが、放送法には規律準則を巡る53条にNHK職員が職務に関して賄賂を収受した場合等についての罰則は記されていますが、その他には罰則が存在していないんです。
ここからは僕の推論です。専門家の方の助言、批判をお待ちしますが、一応私論を展開しておきますね。
現在政府がしばしば口にする罰則としての「停波」という表現は放送法ではなく電波法76条にこう記されていました。
「電波監理委員会は、免許人がこの法律若しくはこの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは三箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ(以下略)」「その免許を取り消すことが出来る」これが、私見の冒頭で紹介した高市総務相の発言の根拠になっている部分ですね。
これは1993年のいわゆる「テレビ朝日椿発言」事件の時に取り沙汰された「免許取り消し」の根拠にもされた法律です。
しかし、です。遠過ぎませんか?普通に考えて。だって、放送法の4条と電波法の76条ですよ。これが果たして本当にフリとウケのように規律と罰則として呼応しているとは僕には全く思えないんですよ。そもそも放送法は番組の内容に関するソフトを巡る法律で電波法は明らかにハードですよ。周波数がどうしたとか船舶や航空の無線がどうしたとか。ここで取り締まられているのは主には無免許のラジオ放送についてであって、やはりこのハードの罰則をソフトの規律違反に転用しようというのは相当無理筋だと思うんですよ。そうしてでも「椿発言」を何とかこらしめる根拠が欲しかったんだと思いますが。
つまりですね、公権力はいろんな手を使ってメディアコントロールの手がかりになる規律は条文に潜り込ませることに成功したが、残念ながら放送法に規律違反に関する罰則を記せなかった。(自由を保証する主体が公権力だから、当たり前と言えば当たり前)だから、ハードの罰則で対応するしかなかった。
だからこそ、最近になってからの法改正で、この76条の「免許人がこの法律」のあとに「放送法」と3文字書き加え無理矢理「規律」と「罰則」の距離を近づけようとしたんだと思うんです。「規律」の出自がいい加減なのと同じくらいこの「罰則」もかなり怪しいなぁと僕は感じています。

罰則を巡る攻防?暗躍は今も続いています。
2007年に当時総務相だった菅さんを中心にまとめられた放送法改正案が国会に提出されました。
ここには4条の3の「報道は事実をまげないですること」を根拠に、「事実ではない事項を事実であると誤解させるような放送により国民生活に悪影響を及ぼすおそれ等があるものを行ったと認めるとき」は行政処分を行うという新たな案が盛り込まれました。
ここにはドラマやバラエティなどの再現ドラマも対象に含まれると記されています。
しかし、この事実か事実でないかの認定は放送事業者の自己申告を前提にするという条件付きです。
一見「自律」を保障しているようにも読めますが、「自白の強要」のようなことが行われるのではないかという懸念の声が上がって、菅さんも一旦抜きかけた刀をサヤにおさめた形になっています。
ただ、少なくともこの時点までは菅さんをはじめ総務省も、法改正というプロセスを踏まないとこれ以上の規制を放送に加えることは不可能だと思っていたのです。
しかし、ここ数年に渡る現政権の一連の放送への介入はそのプロセスをすっとばし放送法を、その精神を解釈の強引な変更によって押し切ってしまおうという姿勢が顕著です。
つまり、放送法は運用でいくらでもハンドリングできると考え始めた。
どこかで聞いたような手口だとは思いませんか?

隠蔽され、忘却された前史
テレビと公権力の関係は本来どのような形を目指していたのか?
そして、何が間違って今のような歪んだ形になってしまっているのか?という歴史について私たちは知り、その上で未来を考えなくてはいけません。
強引な既成事実の積み重ねによって書き換えられてしまった現行放送法下での表面的な正当性はともかく、彼らが主張する「監督権」とはこのような、正当でも全うでもない出自をその前史として持つものです。そこに目をつぶってしまうと判断を誤ります。
100歩譲って(譲りませんが)「政治的公平」が放送局の義務だとしても、その「公平」を判断する組織が前述した通り政府から独立した第三者機関であるならばまだ理解はできます。
外国の例を見ても日本よりずっと厳しい罰則を伴う契約を放送と非政治的な第三者機関との間で結んでいる例も数多くあるはずです。
だってそもそも、日本の放送法もそのような契約を前提として作られていたはずの法律なんですから。
4条を「倫理規範と捉え、それを理由に行政指導は極力行わない」という珍しく節度ある態度を総務省(郵政省)がとり続けて来たのは、もちろん、放送法1条や憲法との整合性を真摯に検討した結果であると同時にこの、「監督権」を第三者機関から横取りしてしまった歴史に対する「負い目」、「罪の意識」から来ているのではないか?
それを自覚していたからこそ4条というメディアコントロールの手綱を自ら握り直した後もある程度は節度ある対応をしてきたのではないか?と僕はちょっと文学的に考えて来ました。
今、その抑制された自己認識や自省的な歴史認識が公権力の側から急速に失われているのです。
「歴史修正主義」の波が、ここにも押し寄せているということなのでしょう。

野党?の政治家の皆さんは是非このような放送と公権力の歴史的な経緯を踏まえた上で国会での質疑に臨んでもらいたい。あなたたちが、党利党略ではなく、私たちの代表として、私たちの共有財産である放送と、公権力の歪んだ関係を真に憂いてそこに立っているのであれば。

この出自と入籍を巡って放送法が本質的に内包するに至った「ねじれ」を解消する為には、2つの方法が考えられます。
もし、4条をあくまで放送人の義務であり行政指導の根拠だとするのであればやはり1950年当初この法律が計画された通りに主語を当事者である公権力から第三者機関に変え、少なくとも政治的公平性をはじめとする「規律」についての判断は「政府」(政治)からは切り離す形(離婚)に戻すべきです。
もし、そうできないのであれば政府自らが適切とは言えない形で手にした権限の行使は最小限にひかえ、放送局の自主自律にゆだねる(別居)―――という以前の態度に戻るべきです。
つまり、公権力と放送の適切な距離を65年前のように物理的に離すか、法解釈によって従来の距離感を保つのか。
ふたつにひとつなのではないでしょうか。そのように「公権力」と「放送」がお互いを牽制し合いながらしっかりと対峙することこそ、「健全な民主主義の発達に資する」という放送法1条の目的に合致する姿だと思います。

放送についての「誤解」
ここ数年の公権力と放送の不適切な関係を真近で見ていて思うのは放送は一体誰のものなのだろうか?ということです。
政府は明らかにNHKをはじめとする放送を自分たちに都合の悪い情報を排除した公報機関に位置付け、公共(パブリック)から国家(ナショナル)へ取り戻そうとしていますし、一部の放送局も又、(本当に情けないですが)そのような関係の押しつけを自ら進んで、もしくは「免許事業だから」といった言い訳とともに甘んじて受け入れているように思います。
今回のBPOの意見書を巡って繰り広げられている議論があくまで新聞中心であり、多くのテレビは当事者意識の欠如した沈黙を、この期に及んでも守っている(スルーしている)ように感じるのは僕だけではないはずです。
11月10日に開かれた民間放送全国大会で民放連会長がその挨拶の中でBPOの意義について触れていただいたのは心強いですが、本来であれば自らの「自主自律」を脅かすような発言が異例な頻度で繰り返されていることに対して、NHKと民放連、もしくは全国の民放各社の連名で公権力に対して抗議の声明をとっくに出していてしかるべきだと思っています。
メディアスクラムとは、誰もが当然叩いていいと思っているような相手に対してではなく、こういう時にこそ組まれるべきものなのではないですか?
今回のやりとりの中で、政府関係者の中からあたかも放送が我々公権力の所有物であるとでも言うかのように「権限」という言葉が繰り返し使われました。
「みなさまの大切な電波(放送)を預かっている」といった、昔はよく耳にしたフレーズを最近聞かなくなったのは僕の耳が遠くなったからではないでしょう。ここには公権力の側にそして放送(局)の側にも放送という社会の共有財を巡っての大きな「誤解」があるのではないかと思います。
「放送」は私たち主権者のそして私たちの社会の「共有財」です。
この認識がないがしろにされてはいないでしょうか?
これが「放送」を巡る最大の誤解だと思います。

今回の私見も先行する多くの研究者や放送人の真撃な努力の上にのっからせていただいて、ここまで書いて来ました。そんな先輩たちに心から感謝します。
あと、忘れてならないのはこの私見の為の資料集めと、たび重なる書き直しに惜しみない協力をしてくれた「分福」スタッフのみなさま。ありがとうございました。
時期は定かではありませんが、恐らくこの私見は、今後も続いていく事になるだろうと思います。
自分を育ててくれたテレビを僕はまだ諦めてはいないので。

恐らく僕のペンが次に向かうのは少なくともこのような形で「不偏不党」を保障されて「自主自律」を求められていながらその厳しさを受けとめることも出来ず、考え続けることを停止し、自ら萎縮し、他律を求め始めている「放送」そのものに向かわざるを得ないでしょう。
そこにはテレビを主に表現の場と生活の糧にして来た僕自身をも含まれるべきだと考えています。(もちろんBPOも!)
放送への愛が強過ぎて当初の予定よりかなり長くなってしまいました。
最後まで読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。
テレビのことは忘れませんがしばらくの間本業である映画監督の仕事へ戻ります。
また。

是枝裕和

参考資料)
「「電波監理委員会」はなぜ葬られたのか!?」 松田浩(「GALAC」2000年10月号)
「GHQ放送政策裏面史」内川芳美(同上)
「放送法「番組準則」の形成過程」村上聖一(「放送研究と調査」2008年4月号)
「すべてを疑え!! 放送の歴史「放送法制定までの経緯」1945~50 坂本衛   他