皆さんから寄せられたメッセージ
【このメッセージは作品の内容に触れています】
心に響きました
2004年8月14日 hiro


今までの是枝監督の映画が全部好きで、公開を何ヶ月も前から楽しみにしていました。公開日は仕事で行けなかったですが、二日目にはさっそく見に行きました。

始めは感動はしながらも今までの是枝監督の作品と少し感じが違い戸惑い、何に心が動かされたのかわかりませんでした。
ただの悲惨な事件に対する悲しさから心を動かされたのでは無いと感じたからです。

数日後、ただ漠然と「また良い映画に出会えた」と思いながら友人とこの映画について話をしていました。
そして、友人の「実際の事件の、映画よりも悲惨な状況ばかりを問題視した感想」を聞いていた時、私は違和感を感じました。

映画の中での悲惨さやその背景にある社会問題に対する怒りや悲しみはもちろん感じたのですが、私がそれよりも心動かされたのは、その状況下でたくましく、時には本当に笑ったりもしながら必死に何かを信じて生きていたであろう子どもたちを思ったからでした。

人はどんなにつらく、悲しい状況下でもお腹が空き、そして笑ったりもでます。それは時にとても切ない事ですが、映像として目の前に突きつけられた時、大きな希望さえ与えてくれるものでした。そして、そんなたくましさの前にある動かしがたい悲惨さが余計に胸に沁みて涙がぽろぽろ出てしまいました。

映画の、事件の悲惨さを最大限に表現しない演出方法から、甘くそう思ったのでは無く、実際人間は悲しくてもお腹も空きますし、信じられない事に悲しい状況でも笑うことができたりします。それはきっと実際の事件でもきっとそうだったのだろうと思います。

某番組で有名な監督の、怒りをもっと表現するべきだとか、実際はもっと悲惨だったはずなのにとか、母親が優しすぎ等の感想がありました。が、私的には過剰に悲惨さが表現されていては逆にリアリティはなくなると思いますし、それでは「そんな事件がありました」というただの記憶映画?になってしまうと思いました。
事実よりもソフトに演出されていたからこそ兄弟たちの心境にシンクロするように入り込めましたし、母親役が優しくてYOUさんだったからこそ、そんな母でも愛し、あきれながらも、絶望しながらも待つ兄弟の気持ちを少しは理解できたのだと思います。
(とにかく、有名監督が言うような演出がされていたら、ここまで心動かされなかったのは確かです)

是枝監督は怒りからこの映画を作ったとおっしゃっていたので、この感想は不本意かもしれませんが、私にとってはかけがえのない作品になりそうです。

また観に行きます。こんな素敵な心揺さぶる映画をありがとうございました!!!!

見たいです。
2004年8月14日 マム


私は、この映画の予告をみて、
実話の話なんだ。
と思いました。
実話ならば、ぜひともみたいです。

上映について...etc.
2004年8月14日 空神


誰も知らないは、カンヌ国際映画祭のニュースや友達からの話を聞いてすごく見たい作品です。
ですが、私は和歌山在住なので上映される映画館がないので見に行けません。すごく悲しいです。
出来れば上映地域を拡大して和歌山にも増やして頂きたいです。
DVD/ビデオが出たらすぐに買いに行きたいと思っています。
それから、誰も知らないの原作本というのはないのですか?
DVD/ビデオが出るまでとても待ちきれませんっ!
原作本があれば 読んでみたいのです。
なければ作って頂けると嬉しいですw
では、上映地域が増える事とDVD/ビデオが早く出ること、
原作本が出される事を 祈っていますm(_ _)m

From Webmaster:
映画「誰も知らない」は実際にあった事件からインスパイアされ、制作されたフィクションです。


素敵な映画でした
2004年8月14日 まめ


悲しい話でした。どこかに希望を見つけてあげたい映画でした。そして、この映画を観て、泣いてしまう事が申し訳ない気持ちになる映画でした。それでも、泣いてしまうそんな映画でした。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
まだ、わからない
2004年8月14日 みき


見て、しっかり生きたい、と思いました。
先日、「誰も知らない」を板橋で見ました。4人を見て、「かわいそう」とは思わず、悲しいような、切ないような…とにかく色々な気持ちを抱きました。強いな、とも思いました。
そうして、泣いてしまいました。なんで自分が泣いているのかわからず、見ていてとても「痛い」と感じました。
4人の生活は、幸せだったんでしょうね。
でも、見終わった今、まだ色々なものが私にはわかっていません。ゆきちゃんを埋めに行ったときと最中、後の気持ちや、意味…明くんの表情は、観客が思ったように感じられるように、無駄なものがなく…難しかったです。それが良いんですが。
また見たいと思います。少しでも今よりわかりたい。
そして、たくさん感じたい。
ちゃんと今をしっかり生きて、今の中に幸せを発見したいと、思いました。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
子供たちは母を許す
2004年8月14日 内田竜一


どうもいけません。何度も「誰も知らない」の予告編を見て涙を流してます。「悲しみ」とか「怒り」とかではなく、また、子供たちの優しさに触れての涙なのでもないのですが、どこからか涙が溢れ出てきます。「泣くために見るなんて馬鹿くさい」と思いつつも何故か繰り返し見てしまいます。

映画見ました。2度見ました。普段映画なぞ見ないのですが、なぜか足を映画館まで運んでしまいました。

さて、今回このメールを送るのはいかに自分が感激したかを伝えるためではありません。今回のこのメールは母けい子を弁護するために送ります。確かに映画の主人公は子供たちであるし、彼らの在り様には強くこころを引きつけられましたが、それとは別に私はけい子のことも気になりました。

私には子供たちを置いて出て行く母のことを責めることができません。確かに彼女のしたことは褒められたことではないし、社会的にも許されることではないでしょう。明への手紙に「頼りにしてるわ」と毎度書くことも彼女のずるさを表してるでしょうし、京子の「どこ行ってたの」という問いかけに対し怒りで話をごまかす様も彼女の身勝手さを示しているのかもしれません。

しかし、私には「お母さんが幸せになっちゃいけないの」と明に訴えるけい子のセリフは否定できません。「母親は自分の人生を犠牲にしても子供たちにつくすもの」という社会通念は、私は信用しません。確かに、母親の子供への無私の愛は尊いものでしょう。母親の自己犠牲の上に成り立つ愛はすばらしいものでしょう。ですが、それは一個の人間としての母親を否定した後に生まれる「愛」であって、それを当事者でない他人がとやかく言うことは、「母親」と「子供」の在り様に傍から等級をつけるようなものです。「All men are created equal」という考えを信じるならば、人は口が曲がっても「母は子供につくすべきだ」とは言えないはずです。

彼女の犯した罪は、道義的・倫理的なものではなく、社会的・法律的なものです。「愛」の美名ではなく「法」のもとで彼女は裁かれるべきでしょう。また、彼女を責めるのであれば、それと同様な仕方で父親を責めねばなりませんし、婚外子の存在に対し無関心な世間も責めねばならないでしょう。

それに、けい子に欠乏していたのは子供たちへの愛ではなく、子供たちの未来に対する想像力です。実際のところ、少なくとも映像の中だけでは、けい子は子供たちを愛していたと思います。子供たちが喜ぶ顔を見て自らも喜び、仕送りも途切れがちになりながらも送り続けていました。それに子供たちの存在を疎ましく思っているようなそぶりは微塵も感じさせませんでした。

自分の存在と他人の存在を天秤にかけた時、それがたとえ自分の子供であったとしても、相手の方が重くなる、という人はそうそう多くはありません。また、たとえ子供の方を重しとした人でも、その判断は簡単なものではなかったはずです。

明は朝方布団の中で涙するけい子を見ても何も聞きませんでした。また、京子も母が出て行ったことをマニキュアのせいかななどと言います。上のこの二人はけい子の身勝手さを何となく分かっていたにもかかわらず、母親を憎む言葉を一言も口にしませんでした。また同様に、下の二人も母親を憎むことはなかったようです(映画の中ではゆきは母親を信じている風でしたが、茂の母に対する思いはそれほど強調されませんでした。ただ、紗希に優しく声をかけたのは彼らしいと思いますが。)。

映画の中では語られることはありませんでしたが、きっと明も京子も茂も、それに死んでしまったゆきさえも、その後けい子に会っていたならば、けい子を許していたことと思います。最初は母の身勝手さに対して怒りも湧いてくるでしょうが、じき彼らはけい子を許すであろうと思われます。

この映画は決してこころ愉快なものではありません。むしろ悲しみや怒りの気持ちを観客に抱かせるでしょう。とは言え、この悲しい映画の救いは、彼らが結局のところけい子を愛していて彼女を許すであろうと思わせることです。結局のところ誰も恨んでおらず誰に対しても優しい気持ちで接することができると思わせることです。また、同様に、私たち観客も、誰かに無限に優しくなれるということを思い起こさせることです。

映画にはいろいろな見方があり、その主題に取りかたはそれぞれ観客に委ねられるべきだと思いますが、この映画を見て私の中で鳴り響く主題は、子供たちのけなげさとやさしさであり、私自身がこの上なく人に優しく接することができるという事実です。この主題を確認するために私は2度も映画館に足を運び、何度も予告編を見ているような気がします。

話がけい子の弁護から子供たちの優しさへと微妙にずれてしまいましたが、これで多少私もすっきりしました。この映画との出会いは非常に喜ばしいものとなりました。是枝さん、どうもありがとう。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
印象深く見ました
2004年8月14日 芦田佑


とても深く印象に残りました。愛に包まれていた子供達が、スイッチを切った(入れた)ように変わる瞬間が特に印象的です。茂が、家にテレビケームをしにきたお兄ちゃん達に、押されてこける瞬間。ゆき、が最後のアポロチョコを口に入れる瞬間。京子が、「京子ちゃん」ではなく「京子へ」のポチ袋を見比べた瞬間。泣いたり甘えたりしない(できない)本能も感じました。飛影くんの今後、(映画に出続けるかは別として)にすごく興味をもちました。

みんな生きている
2004年8月14日 藪小路


切ないけれど絶望的じゃない。
愛あふれるやさしい作品でした。

子供たちを思い切り抱きしめて、
頭をなでてあげたくなりました。

ありがとう。
2004年8月14日 ナミ


何度も、胸の奥の方が押されているみたいに、痛くなりました。 私は、観ている間に何度も涙をこらえようとしていた気がします。
それは、きっと、スクリーンには涙を見せない子供たちの姿があったから。
とても、ちからのある作品です。
「あの子供たちの後ろ姿に、私は、何を想えばいいのだろう。」そんな気持ちと一緒に帰り道を歩きました。
とても素敵な映画をありがとうございます。
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